豊丘村、本山の残土置き場説明会


画面クリックで拡大できます。グーグルアース。オレンジ色が残土盛土のだいたいの位置。

 1月30日に豊丘村で本山の残土埋め立て候補地のJR東海による住民説明会があり、盛土の詳細設計について説明がありました。長野県内で残土盛土の詳細設計が示されたのは初めてだと思います。会場で配布された資料は「本山発生土置き場位置図」「平面図」をA4裏表に印刷したものが1枚だけでした。

 JR東海側の出席者(着席者)はJR東海から、古谷工事事務所長、小池課長、加藤氏(司会)、小木曽氏(説明者)のほかに、3名。長野県から栗林氏、河原氏。豊丘村から2名。長谷川伴野区長。林里区長。

 スライドによる説明で、スライドには縦断面図、横断面図、工作物の図面などもありました。スライドで示しているに、紙の資料として配布するのは地権者の了承を得てから考えたいとの説明でした。出席者の顔ぶれから考えると、下流域の区の一般住民には詳しい内容を知らせない方が良いという合意が、JR東海、豊丘村、長野県、本山更生会の関係区(伴野区)と林里区の代表者の間でできていたとの憶測もでてきそうです。

 「本山発生土置き場位置図」の右下について、国土地理院の地図に「平面図」を重ねてみたのがこの図。地図から読み取ると盛土の最上部が標高約942m、最下部が約804m、サースケ洞と虻川の合流部分が約651m、虻川が天竜川にでる付近の標高は約420m。残土は虻川からサースケ洞をたどる谷の線の最上部に置かれることになり天竜川との標高差は380m~522m。かなりの位置エネルギーになると思います。JR東海の説明では天竜川との合流から埋立地のだいたい中央部までは約10㎞(※)。谷の勾配は10000分の450程度です。

※ 直線では盛土の最上部から天龍川出口まで約7.2㎞

 砂防堰堤または谷止工が、地理院地図(ネット版)では埋め立て候補地内に4つ、サースケ洞に1つあります。つまり現在は、県による防災対策が行われているわけです。そういう谷の最上部に盛土をするというのがJR東海の計画です。

 横断面図、縦断面図のスライドのメモです。メモ1メモ2。メモ1の縦断面図は、こんな図が示された程度の意味で正確な物ではありません。暗渠排水管というのは盛土に浸み込んできた水を抜くためのものですが、説明会に参加した治山に詳しい方の意見を後日聞くと、これはじきに詰まってしまうとのことでした。また埋設工というのは砂防堰堤のようなもので盛土が滑り落ちることに対して抵抗になるとのJR東海の説明だったのですが、この規模では役に立たないだろうとのことでした。また平面図で斜面に排水路が多数配置されているのに平たん部には少ないことについて、斜面では雨水は下に流れてしまうので排水路はそんなにいらないのに、平たん部は雨水はしみていくので、平たん部の方が水路がいるはずとも指摘されました。これは詳細設計ではなく、本当の詳細設計はこれから出るのかもしれないという感じもするけれど、JR東海のことだからこれでやるつもりかもしれないという感じもするとも。ともかく不十分な設計で、これではいずれは崩れることになるだろうし、下流部で氾濫しないとしても、流れ着いた土砂の除去についてはお金がかかる話になるとのことで、こういう所までJR東海が責任を持つのかについては、今回の説明会の中では明らかにされたとは言えません。

 調整池の容量について、安全率に関連して、想定している1時間雨量は100年に1回の頻度の120㎜という説明がありました。しかし比較として、三六災害の時の雨量は6月27日が1時間36㎜で「5年間に1回の頻度」に相当という説明はちょっとまずかったのではと思いました。誰も直接には指摘しませんでしたが、三六災害当時は江戸時代の正徳の羊満水(ひつじまんすい)以来250年ぶりの大災害と言われたと思います。

 残土造成の説明をしたのはJR東海の若い社員さんでした。この方は、11月の起工式、15年の中心線の杭打ち開始のときには、ガードマン役をしていました(右端の人物)。この方が設計したのでしょうか? 人使いの荒い会社ですね。

 JR東海は説明会を開いたことで住民の理解は得られたといっていると書いている報道もあります。しかし、会場の質疑を聞いた限りは理解が得られたという感じではありませんでした。ただ、前もって「こういってね」と頼まれたかのような発言が1つか2つあった事も事実です。

 飯田市長は、JR東海が20~30年管理する方針を出したことは「地域にとっては一歩前進」と評価したそうです(『中日』2月2日)。JR東海は、埋立地の保水力が回復するまでの管理の責任は持つといっていて、その目安としては20年から30年ではないかといっています。「30年」という数字が前面に出た報道がされていますが、JR東海の説明の仕方はそういうことです。

 この説明会について、『信毎』が2月1日に詳しい記事「焦点:リニア残土 課題なお」を掲載しています。記事は、専門家は、そもそも残土を置くべきでない地質である、情報が不十分、30年の管理は公共事業では常識的な範囲にすぎない、盛土の造成地の設備は水路が詰まるなど将来必ず不具合が生じる、あるいは施工管理は県がするべきだなどと指摘していると書いています。

 さて、JR東海は管理の責任ということを言い出した理由について、地元の要望が残土運搬車が里に出るのを防ぐためであり、跡地利用の予定はなく、山林を山林に戻すということであれば、工事の終了後も管理するのが望ましいと考えたといっています。この「山林」という言葉が曲者だと思います。山岳トンネルでは一般的にトンネル上部の地権者との間できちんとした契約をしないのも山岳トンネルの上部は普通は山林だからということが理由になっています。残土埋め立て地は20年から30年もたてば緑豊かな山林にもどるから安全安心というまやかしがありそうです。

 なお、『南信州』は2月1日の記事「豊丘の残土候補地 下流域に説明『理解得た』 JR東海 維持管理計画にも言及」で、他紙は20年とか30年と数字をあげている管理期間について「山林の保水能力が回復するまで」と書いています。JR東海の言い分はこれがもっとも近いと思いました。また、あいまいな点も多く、「維持管理計画にも言及」したという程度であったことも確かで、それを住民が理解したかどうかは極めて疑問。しかしJR東海は「理解得た」と認識していると書いています。南小学校も対象地域であるのに、出席者も少なく、説明会の広報が十分でなかった可能性もあります(村のHPには出ていない)。

 残土災害が起こる可能性があってもいつのことかわからないので、起きたときには責任がだれにあるのかはあいまいになってしまうことは経験的にわかります。住民は残土を置くことそのこと自体を心配しているのです。ダンプの通行も迷惑で危険なものですが、こちらは人間がすることであるし、工事中ですからJR東海や工事業者が責任を持つこと、行政がそれを強制することはできます。残土の流出による災害は自然が相手であって人間が規制できるものではありません。ダンプの危険は防げますが、谷に残土を置かない以外には残土の危険は防げません。JR東海も伴野区長も、ダンプの方が危険と、まったく逆のことをいっています。変な理屈です。飯田市長の「一歩前進」発言は許されざるものです。

 JR東海は基本的に鉄道会社です。疑問に思うのは、鉄道施設に関連した土木工事についてはノウハウがあるでしょうが、130万立米というような大規模の谷の埋立について経験があるのでしょうかということです。そういう意味では、残土埋め立てをどうしてもするなら、長野県が設計、発注、管理をすべきだという専門家の意見は納得できます。住民に対する責任という面でも長野県の役割だと思います。しかし、谷や沢を残土置き場にしないことが一番です。

(2017/02/06)