更新:2020/07/31

共産党県議団のリニア関連現地視察

 7月29日、30日と共産党県議団のリニア計画の関連地域の視察があって、同行させていただきました。

7月29日

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7月29日。中間駅の計画のある飯田市上郷の飯沼北条。駅の予定地で地元の党員に説明を受ける視察団。このあと移転対象の住民の方たちの話を聞きました。路線用地、駅周辺整備では飯田市が前面にたって住民と交渉するのですが、住民との意思疎通が上手くいっていないようです。まだ6800人の利用者の根拠が分からない、6.5ヘクタールの駅周辺整備について本当に必要なの納得できない、全部地下を通せばよいではないかといった声も。事業が大規模なのに補償内容が、これまでこの地域であった公共事業に関わるものに比べ軽いといった指摘も。技術的、安全上も問題視されている飯田線の新駅も、地元の人たちは上伊那の首長たちが言うだけで利用者などいるわけがないと。移転対象者の最後の一人まで寄り添うといいながら、飯田市長は地元の説明会に2度しか来ておらず、しかも1度は東京の会議のために30秒で中座して東京へとんぼ返りしたという。住民とそういったものとどっちが大事なのかと。飯田市長がリニアによる地域づくりの将来像を地元に来て自ら語らないなら、住民が納得できないのは当然のように思えます。飯田市長自身がリニア計画の成否、またリニアに頼った地域づくりの成否について確固とした自信があるのか。地域を支える住民の声に耳を傾けず、政治家としての名誉欲だけで動いていることはないのかといった疑念があらためてわきました。

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上郷の次に、トンネル残土の処分地の候補になっている松川町生田の中山地区を視察。埋立の一番上流付近。

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処分量は30万立米といわれていますが、これはJR東海が示した36万立米を処分する場合の図面。埋立候補地までの2車線化の道路改良を条件とした受入の意思表明だったのですが、危険性から下流の福与地区が反対。両地区の協議はまったく進展がない一方、JR東海が提示した道路改良の内容が地元の要望に沿うものでなかったこともあり、ここに残土を持ち込む可能性はゼロに近い状況。生田地域は大鹿村に近く、最初は3つの谷で620万立米受け入れの見込みもありましたが、地元の話し合いのなかで、590万立米分(2つの谷)は候補を取り下げるなど、JR東海にとっては、大いに見込み外れになったと思います。

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現地を見たあと、生田地区の1961年の三六災害の被害を記録した航空写真を松川町役場で見ました。左の写真には、谷ごと、沢ごとのすべてで崩壊が起きた様子が記録されています。

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上の航空写真とおそらく同じ写真(『伊那谷の土石流と満水~三六災害40周年』より)。赤枠は残土処分候補地。白い部分は削れた斜面と流れて広がった土砂。被災部分と埋立部分がほとんど重なる。JR東海は、静岡県だけでなく、実は長野県でも地雷を踏んだのです。

7月30日

 30日は、下條村の残土処分候補地、飯田市龍江の残土処分地、豊丘村の残土処分地と戸中ヤードを視察。

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残土は国道151号線沿いの道の駅の下流側。前伊藤村長は村の人口を増やす施策をいろいろ行った。画面後方に見えるアパートは、伊藤村長の時代に建設されたアパートの一つ。山口県議によるとこの道の駅は伊藤村長の時代に造られたもので、当時、道の駅を谷を埋めて建設することについて危険だと問題を指摘する声もあったそうです。

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埋立予定の谷。

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まだ耕作をしている方がいます。

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道の駅は谷を埋めた盛土の上にあります。国道からは一番奥の方で、法面の崩壊が始まっています。

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アスファルト舗装の一部が欠けています。草の茂った季節で、ちょっとわかりにくいです。この崩壊は以前(2015年2月撮影)からありました。

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こちらは今回はじめて気が付きました。これから埋め立てる谷のほうへ降りていく道路の擁壁が谷側に向かって倒れかけていました。もともと赤い線の部分はつながっていたはずです。

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道路を見下ろしたところ。下のほうから赤丸部分までは道路の谷側の擁壁は残っています。ここから上が谷側に倒れかけています。5年以上前から変化が起きていたのに何も手当てが行われていません。この下側に続いて残土を埋め立て造成するのは疑問です。

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(クリックで拡大)飯田市龍江の清水沢川の残土処分候補地。谷というよりは川の中流域を埋め立てるといった方が良い計画。JR東海も通常の谷埋めとは違うという認識はあるようです。このカーブをショートカットした位置に道路を付け替えるため盛土するような感じの計画。ショートカットする場所の標高はカメラ位置より高いのでカメラ位置も相当の高さに盛り土される予定。

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龍江の盛土を考える会の皆さんから説明を聞きました。そもそも谷埋め盛土は災害の原因を造るような行為という認識は多くの専門家が認めるところということを知って、自分たちの主張に自信を得たと言っておられました。個別の計画について専門家として述べる所見は、事業側のリクエストに答えるものである以上は、「そもそもやらないほうがよいのだけれど、どうしてもやりたいなら、この程度はきちんとやった方が良いですよ」というもののように思います。報告書をよく読むと、それが読み取れるものがあります。しかし、事業者側は前置きを隠して広報するから始末が悪い。この場所も土の下になる。川の流れが画面左のほうにあります。

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豊丘村の戸中斜坑ヤードへの進入路の拡幅工事がはじまっていました。

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左へ行くと坂島斜坑ヤード、右は戸中斜坑ヤード。

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画面右側の谷底に斜坑ヤードが

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ヤード予定地の一部

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戸中諏訪神社(左)と斜坑ヤード予定地

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下沢の残土置き場(26万立米)の最下流部。

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下沢の残土置き場(26万立米)の最下流部。画面右、虻川本流まで約200m。(参考:7月16日の様子 道路上を砂が流れたあと)

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先日見かけた御手形神社東の倒木の場所。よく見るとかなり大きく斜面が削れていました。

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佐原御手形神社前で地元の党員や住民の声を聞く。大鹿から参加した住民は、釜沢、除山の両斜坑ともに地滑りのため工事が中断していると話しました。このあと、県議団は、一時大島集落を孤立させた、今回の豪雨による喬木村加々須の県道の土砂崩れ現場の視察に向かいました。