更新:2020/09/05、2020/09/07 画像追加

ガイドウェイヤード計画地の場所

image

 天竜川の河原に大型クレーンが見えました。

image

 行ってみたら護岸のためにテトラポッドを設置していました。赤いコーンは堤防の犬走に置いてあります。本流が堤防のそばに近づいています。台風対策のためとのことでした。

image
本流が堤防に近づいています。右の堤防の先方の資材置き場からテトラポッドを1基ずつダンプカーに積んではこび、クレーンで降ろし、バックフォーで川べりに並べていました。

image
(画面クリックで拡大)

 場所は上の航空写真(google)の黄色い丸印。花火打上現場は、2018年夏に造成されましたが、昨年と今年の増水でかなりの部分が流失しました(googoleの写真の撮影時期は2020年なっています)。(2020/09/07 訂正)

image
堤防の内側では、高森町議会の議員さんたちがリニアガイドウェイ用地の視察に来ていました。ガイドウェイヤードとして使用後は、町として工業用地として企業誘致をするか、JR東海に買い取ってもらおうと考えているようです。 ⇒ 下市田河原リニアガイドウェイ用地工事の説明会

 『信毎』2面 "阿部県政 問われる危機対応 5" で元宮城県知事の浅野史郎さんは、激甚化する自然災害を踏まえると防災の考え方を変える必要があるとして、頑丈で巨大な堤防を造る従来の手法から田んぼの遊水地化や堤防決壊を前提とした高台移転など発想の転換が求められる とコメントしています。また『朝日』13面の「耕論:豪雨列島の治水」では、山形大学の泰康範准教授は、主に住宅開発についてですが、危ない土地をさらに開発していく愚はやめるべき と指摘しています。航空写真に1961年6月末に三六災害で流失した惣兵衛堤防のおよその位置を書き込みました。この部分からあふれた濁流は、ガイドウェイヤード候補地、工業団地拡張部分などをふくむ広大な土地を土砂で埋めました。

image
(惣兵衛堤防の決壊により浸水した水田地帯 の写真に加工)

 ガイドウェイヤード使用後は企業団地として開発するという高森町の発想(60年代の発想?)はちょっと古すぎるんじゃないかと思いました。テトラポッドを置いていた位置の対岸(左岸)には、上流に130万立米のトンネル残土を処分する予定の虻川が流れ込んでいます。残土盛土が崩壊した場合、最悪の場合は、天井川になっている虻川が氾濫して、虻川左岸右岸の天竜川に沿った地域は水浸しになるはずです。豊丘村も高森町も防災ということを真剣に考えているとは思えません。

追加画像

image
(画面クリックで拡大) 稲穂の見える水田の向こう側がガイドウェイヤード用地。撮影位置は航空写真の舟綱具石のそばの×印、東南方向を見ている。

image
農免道路東側部分のガイドウェイヤード用地の北端から南側を撮影(航空写真の A から)。工事はこちら側から始まりますが、さて、残土の手配がつくのかどうか? というのは、ここで10万立米、喬木のガイドウエイヤードと伊久間の工業用地造成に7万立米と3万5千立米、飯田市の代替地造成に3万5千立米、松川町の前河原道路建設に10万立米で当面30万立米を超える残土が必要ですが、現状で大鹿村内にすでに仮置きしてあってすぐに持ち出せる残土の量は、上蔵の変電所予定地に仮置きしていある分(最大で15万立米)と小渋川斜坑から日々出てくる分(50~100立米程度)だけです。8月31日の説明会で、いつからどのぐらいのダンプカーが運ぶのかといった質問に関して、町とJR東海とのその場の内輪のやり取りの様子を見ているとそんな感じもしました。はっきりとスケジュールは決まっていない感じです。

image
上の写真と逆に南側から北側を撮影(航空写真の B から)。右遠方の山は陣馬形。

image
何かの偶然とは思いますが、テトラポッドを設置していた場所のそばの堤防の天端の舗装にヒビが。右が川側。

image
川に削られた、花火打上現場。今年はコロナで中止だったのですが、来年再開できるかどうか、かなり疑問…。2017年までは、左岸、豊丘村側の河川敷で打っていました。しかし、豊丘村が堤防のすぐ内側に道の駅を造ったのでこの場所に代わり、2018年、2019年はここで打ち上げました。

image
設置されたテトラポッド。画面奥の橋は明神橋。その後ろに陣馬形。