夢の電車は東へ西へ

 元旦に中川村へ赤石岳を見にいった続きで、1月2日、赤石岳の見えるところを探しながら小渋川を大鹿村方面へさかのぼってみました。


小渋線で大鹿村へ行く途中、小渋川の河原にあるモトクロス場。ここへ残土を置けばという意見もあるようです。緑色の丸で囲んだのが大型車がすれ違いできないはんの沢橋


「いどいりばし」(左)と小渋ダム(右)


小渋ダムそば、西下(仮称)トンネルの工事ヤード。このトンネルは大鹿からリニアのトンネル残土を運び出すための県道59号線の改良工事の一部として建設されます。丸印あたりが坑口。奥に見える坂道は鹿養を経て中川村中心部の大草へでます。その道からヤードを見下ろして撮影したのが次の写真。


丸印の辺りに坑口ができる予定。ヤードは沢に設置したので地面のないところは鉄板を並べて平たん部を造っているようです。


四徳大橋から見える赤石岳。四徳大橋(1月5日撮影)も幅が狭く大型車のすれ違いは難しい(2016年7月30日撮影)です。


県道59号線の滝沢トンネル西の四徳渡(仮称)トンネルの工事ヤード。このトンネルもリニア工事のための道路改良工事のひとつ。


村役場のそば、県道22号線が国道152号線と接続する落合の交差点。信号機はありません。リニア誘致の看板があります。国道改良の看板もあります。

 残土運搬車が使う県道は59号線(松川インター大鹿線)と22号線(岩洞=がんどう)。59号線の大鹿側の終点は松除(松除橋(2016年7月30日撮影)の西側)で県道22号線に接続。22号線の終点は上の写真の場所。運搬車は渡場から松除までは59号線、松除から落合までは22号線、落合から下市場までは国道152号線を通ります。下市場では集落の中心部をダンプカーが1日1300~1700台も走るはずですが、信号もない交通量のなかで生活している住民にとっては大変な苦痛になるのは明らかです。


東へ西へ」というのは井上陽水の1972年発表の曲のタイトル。その一節「ガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は 東へ西へ」。リニア中央新幹線建設促進期成同盟会ができたのは1973年。「東へ西へリニアが結ぶ」というキャッチフレーズは陽水の曲の影響でしょうか。よく見ると「リニア中央新幹線」という部分だけ直してあるみたいです。丸印の部分、なにか意味を持たせるためにデザインをいじってあるんですが、あまり効果がない感じですね。今まで気が付きませんでした。「東へ西へ」と数十年頑張ってきた看板。JR東海は大鹿村にはメリットはないというのですから皮肉な話です。


役場そばの建材採掘場(1月5日撮影)。


村長選のポスター掲示板。


大鹿レミコン。


大河原下市場に設置された長野県の大気質の測定装置。

(2017/01/11 追加)

上の写真から少し先へ行ったところ。これは振り返って撮影しています。拡幅工事なのかと思いましたが、リニア新幹線を考える登山者の会のページによると、道路わきの斜面で崩壊があったようです。写真の中央部を拡大すると、倒れかけた木や土嚢が写っています。ただし迂回路になっている部分は以前から車が通行できるようにはなっていたと思います。


ほぼ完成したトンネル工事の作業員宿舎。


この土地は何のために確保しているのでしょうか?


起工式のあった上蔵の斜坑口の工事ヤード。左の方の赤いものは多分トンネルを掘る重機の腕だと思います。まだ掘削は始まっていません。


長野県企業局の大鹿発電所前からみたJR東海の電力変換所(インバータ)予定地。大鹿では貴重な平たん部。現在は水田と養魚場。土地利用方法として本当に価値のあるのはどちらか。地元の方によるとこの発電所を作るときにも水田が残土置き場に使われ山のように積み上げたそうです。今回もはじめは残土を置くようです。


電力変換所建設で移転しなくてはならない養魚場。経営者によればこの場所は魚に害のある細菌がいない水があるので良いのだそうです。


県道253号線(赤石公園線)、上蔵の集落を過ぎてすこし行ったところにこんなものがありました。看板には鹿島・飛島・フジタ工事共同企業体と書いてあるのでリニアのトンネル工事の関係です。ここは斜坑口の上ではないです。


年末までには終わっていたはずの日向休のボーリングの日程が2か月延長になっていました。事前の調査が不十分なのに2027年開業と区切るから日程が厳しくなるのは当たり前。地元の人に聞くと工事の日程はあきらかに遅れているとのことでした。


日向休から見た赤石岳。


細く曲がりくねった赤石公園線。

お情無用のお祭り電車に呼吸も止められ
身動き出来ずに 夢見る旅路へ(「東へ西へ」)

このページに掲載した写真は日付のないものは2017年1月2日に撮影しました。 (2017/01/09)