更新:2020/03/10

この土砂の山は…


[1] この土砂の山はリニアとは直接関係ありませんが・・・

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[2] (画面クリックで拡大) 場所は、高森町山吹下平

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[3] 一番最初の写真は画面右の円で囲った部分。撮影場所は、天竜川の河口から155.6kmの右岸の堤防。

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[4] 大きな石が別に置かれています。

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[5] 国道153号線側から見たところ。手前の川は田沢川。

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[6] [5]の反対の天竜川の側から見たところ。

 少し前の状況 = googleマップ の航空写真が下の画像 (画面クリックで拡大)。

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左下の3つ並んだ白い四角は国交省の資材置き場のテント。右上の黒っぽいアスファルト舗装した部分はリニアの残土を運搬するために進出してきた長野市の「宮下」の高森営業所。その南は運送業の「友愛商事」。

 地理院地図。

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田沢口の出口は、堤防の切れ目になっていて、土砂が積まれている場所には遊水機能があったはず。田沢川は1961年の三六災害で荒れて犠牲者が出ていました。被害は下平駅付近にまで達していました。この付近に、「川の駅」をつくる構想があって、その用地造成にリニアのトンネル残土6万5千立米を活用すると高森町は言っています。今あるこの土砂はどうするつもりなのでしょうか。

 土砂が置いてる部分 = 茶色の部分は約2万7千平米。ダンプカーの大きさから高さ4mと見積もると、現状で約10万8千立米。

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[7] 主なものは竜西からの風化した花崗岩中心の土砂ですが、一部黒っぽい土砂もあります。

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[8] 西側の法面

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[9] 何かの施設の敷地のための造成ではなく、土砂を置いているだけです。「川の駅」は画面左のまだ土砂の置いてない場所につくるのか?

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[10] 手前は以前からある国交省の資材置き場。後方のテトラポッドの位置が googleマップの航空写真と位置が違っている。

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[11] 左の舗装は天竜川の堤防の上の面。以前からあった盛土の上に、さらに土砂を盛っている。

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[12] 一部崩れ始めており、恒久的な盛土ではなく仮置き場と思います。

 この土砂は、松川ダムの堆砂だけでなく、各地の砂防工事や河川改修工事の結果出てきた土砂です。3月5日に目撃したダンプカーには「滝沢第2砂防堰堤工事」、「天上 飯島砂防 中田切川整備工事」の表示がありました。そういう土砂が沢山あるわけで、その処分先を考えることの方が先決だと思うのです。

松川ダムの堆砂

 ところで、飯田市はもともとは松川ダムの堆砂を使うと説明していた丹保北条の、リニア関連の移転者向けの住居の代替地の造成に、地震のとき液状化の心配があるとの理由で、松川ダムの堆砂は止めて、かわりに液状化の心配がないリニアのトンネル残土を大鹿から運ぶと言っています。

 高森町は、リニア時代を見据えた工業団地の拡張に液状化の心配のある松川ダムの堆砂を使い、造成を完了、進出企業との契約も済ませました。工業団地の北側に造成するリニアガイドウェイの用地の造成にはリニアのトンネル残土を活用すると言っています。