更新:2025/09/01、2025/09/14 補足

下條村睦沢の残土置場のようす、8月27日

道の駅から

 残土を埋める予定地の一番上流側は道の駅のすぐ下です。以前は道の駅から予定地の下の方まで見とおすことができました。地権者の手を離れ手入れをしないので樹木やつる草が茂って下のほうは見えません。下の谷に降りていく狭い道路(補足)があったのですが、その入口も草木が覆っていてわからないくらいでした。これから何年この状態が続くのか…。

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〇 2020年7月30日のようす ⇒ 共産党県議団のリニア関連現地視察

〇 2020年2月~3月のようす ⇒ 道の駅、信濃路下條

村道1号線付近

 6月29日には村道1号線からみてきましたが、今回は国道151号線からながめています。

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関連ページ


今年6月下旬のようす。坂道の入り口がわかりません。

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 10年前のようすです。

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2025/09/14 補足

 残土の埋め立てが終わったあとの利用方法について、構想が出ているようです。先日、日本共産党の県議団の視察に同行させてもらい、埋め立てる沢に農地を所有されている方のお話を聞くことが出来ました。その方は埋め立てが済んだら、農地として使いたいという希望をもっておられ、土地は売っていないとのお話でした。農地に戻すためのすき取った耕土も保管してあるそうです。

「道の駅」信濃路下條について

 リニア残土を谷埋め処分する下條村の「火沢」の上流側に隣接する「道の駅」信州下條の土地は、国交省が主要地方道天竜公園阿智線の改良工事で出た残土を用い(『信州日報』1993年10月11日)、1993年~1994年にかけて、谷を埋めて盛り土造成しました。「条件の悪い湿地帯だったが建設省、長野県補助約三億五千万円を投入し、大がかりな造成工事が完了」と『南信州』1995年10月10日は書いています。道の駅としてのオープンは1996年4月22日でした。

 道の駅は、1991年から各地に造られるようになったようです。目的は道路利用者の休憩や地域の情報発信のためとされているようですが、信濃路下條のように道路工事で発生する残土の「活用」先となった例もあったのではないかと思います。

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「地質図navi」に加工。「下伊那竜西活動セグメント」を示すラインが淡い色なので輪郭を書き込みました。

 活断層(下伊那竜西活動セグメント)との関係は不明ですが、「×」印付近でのり面の崩壊が始まっています。この「道の駅」の下流側(北側、図の上方)に隣接して残土の盛り土が行われます。

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